感覚過敏やこだわりで新しい靴を嫌がる息子と味わった感動

友人に勧められて、あるYouTube動画をみました。自閉症を持つ子が、新しい靴を履くことに葛藤する姿、それに悪戦苦闘しながらサポートするお母さんの様子がまとめてありました。

新しい靴を全力拒否してきた息子

それを見て、いろんなことが思い出されて、泣けました。

ほっしゃん(5歳)にとっても、新しい靴を履くことは大きな壁で、長い間同じ種類の靴を0.5cmずつ大きくして買い続けました。(これを経験したことのあるママと話すと、みんなニューバランスなのがまた不思議)

ある時、ほっしゃんが履いていた型がもう廃盤になって、同じ靴を履けなくなっちゃった。そこから数か月かけて、次の靴へなんとか移行できたことを思い出しました。

おしゃれさよりも「安心感」

その動画のママが言っていました。「靴でおしゃれを楽しむことはできないけど絶対に履けるものができた安心感がすごい」って。

その気持ちがわかりすぎて、そこで泣けた。

子どもを持つ前や、妊娠中は、子どもができたらいろんなおしゃれをさせるのが楽しみ~て当たり前のように思ってた。でも、そんな楽しみは、とてもじゃないけど無理なことに気付かされた。インスタでおしゃれな男の子コーデとか、かわいい兄弟リンクコーデみたら、かわいい~♪うちもさせたい~♪って思ってたけど、いつしかそんなことを思うことすらなくなった。

ただ息子が、安心感に包まれて、幸せに過ごせたらそれでいい。というか、それがいい

険しい道の先にまっているもの

動画を見てて、ほんとに履きたくないって感じている子どもの苦しみと、靴をなんとか履いてほしいと願うママの大変さの両方が痛いほど伝わってきて、誰も悪くないのにこんなに苦しい状況に涙が出た。ほんで、それを他に誰もいない密室で、ママと息子ふたりで頑張っている姿に涙があふれた。もう履かんでいいよ!って動画に向かって言ってしまう自分と、そんなこと、私の100倍思っているであろうけど一生懸命息子のために頑張っているママにハグしにいきたい、そんな気持ちになった。

そんな闘いを経験しているママだから、「絶対に履けるものができた安心感」を味わうことができた。

靴が履けたこと、水着が着れたこと、帽子がかぶれたこと、ジャンパーを着れたこと、泣かずに保育園の中に入っていけたこと、全部全部、特別な出来事として私の心にも残っています。息子と一緒に葛藤したこと、できた時の息子の嬉しそうな笑顔、私の喜びと安心感。こんな日常のひとつひとつにこんなにも感動できること。これこそが、私のママ人生の大きな特権だと思う。渦中にいるときは、決してそんな風には絶対思えないんですけどね。

ルキウス・アンナエウス・セネカの名言。
“It is a rough road that leads to the heights of greatness.”
険しい道こそが、偉大なる高さに結びつくのである。

コメント

  1. といとい より:

    涙で前がみえません。感動しました。

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