母の11回目の命日に想うこと

日々バタバタ過ごしており、ご無沙汰しております。

GW中に、母の11回目の命日がありました。
お母さんと会えない日が毎日積み重なって、もう11年。11年も会えていないのに、お母さんに会えない寂しさ、お母さんを想う気持ちは色褪せなくて、思い出みたいになっていかなくて、ずっと鮮やかに寂しい。伝わるかな…この感じ。
それでも日々は過ぎていって、楽しいことも悲しいことも日々新たに経験して、そして11年が過ぎたんだ。

11回目の命日当日

命日の日。いつものようにバタバタ過ごしていたら、ピンポ~ンとインターフォンが鳴った。

「お花届けに来ました。」と馴染みのお花屋さん。
お母さんの親友たちからのお花でした。

それで気付いた。ギャー―!!!今日お母さんの命日やん!!!
こんだけ寂しい寂しいと言いながら、命日忘れる私。

すぐに、そのきれいなお花を写真にとって、妹にLINE。「○○さんたちからお母さんにお花届いたよ」

「ギャー―!!!忘れとりましたーー!!!」

爆笑。遺された家族、二人とも命日忘れてました。お母さん、ごめん…。

私たちの会話、こう続きました。
妹「でもさ~。お母さんがいないことを今も嘆き悲しんでるんじゃなくて、子どもたちを与えられて、子育てにバタバタしてて、お母さんの命日もうっかり忘れてて、お母さんも喜んでるはずや!」
私「ほんまやな!絶対喜んでるわ!」

反省の色なし!笑

自分の両親の子育て法を振り返り思うこと

そんな私たちが話していて最近気づいたこと。
自分たちが親になって子育てについてあれこれ考えて、子どもたちをどう育て、導くのが正解なのかな~とか、答えのないことをうだうだしゃべることが増えた今日この頃。
ふと、自分たちがどう育てられたかを振り返ることも増えました。

それで気付いたこと。

私たちの親の子育て方法は、本当に「受け止める育児」だったということ。

私たちが思ったこと、感じたこと、考えたこと、したいこと、ほしいもの、全てを受け止め、認めてくれていた。頑張れるときも、頑張れないときも、私たちの思いを受け止め、認めてくれた。「受け止め認める」というのは、「反対しない」こととイコールではない。だから、もちろん親に反対されたこともある。でも受け止められなかったことはなかったんや…って気付く40代の夏。

私の価値観や感情、そして私の存在を本当にそのまま受け止め、そのまま認め、そのまま愛してくれている親がいたから、こんな特別取り柄のない自分でも、自尊心を持ち、自分の存在を認めることができているのかな。人生なんとかなるって思えてるのかな。

そう思ったら、本当に感謝の涙が溢れる。お父さん、お母さん、ありがとう。

ボーイズが初飛行機で窓からみたもの

GW中、家族旅行に行きました。(旅行記は、またおいおい。お付き合いください♪)

うまれて初めて飛行機にのったほっしゃん(4歳)とてんちゃん(3歳)。
初めて、飛行機の窓から眼下に雲をみたふたり。

そしたらほっしゃんが笑顔で言いました。
「マミーのダディとマミーのマミーがいた!!!お~~いって手振ってた!!!」

そしたらてんちゃん
「てんちゃんも!マミーのダディとマミーのマミーがいて、手振ってた!!!」

ドキッてした。子どもの想像力ってすごいな~って微笑ましくも思うけど、でもなんでそんなこと突然言ったんやろう。きっと、ほんとにお父さんとお母さんが手を振ってくれてたのかもしれない。純粋なほっしゃんとてんちゃんにはきっとそれが見えたんやんね。お父さんお母さん、ありがとう。

コメント

  1. といとい より:

    まだ春やで。夏ちゃうで。とどうでも良いこと気になる私。笑 「40代の夏」

    ほんま受け止められまくったと気づいて、なんか受け止めるって何かわからなくなって子供にスイッチで遊ぶこと許可しまくっている私。
    多分そういうことじゃないと思う。笑

    お母さん優しかったよな。美化してることないと思うもんな。ほんまに基本優しかった。

    私まじで性格お父さん似やからお母さんのようなお母さんにはなれへんわ〜

    • 心理士ママ Wawa より:

      ほんまや!夏ちゃうやん。
      これ書いてた時、ほんまに疲れててん 笑
      ほんまにお母さん優しかったよな。めちゃくちゃ。

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